代表メッセージ

最後まで、やり遂げること。

Ocean Strategy 代表 赤間康浩

立場の違う人たちの”狭間”に立ち、言葉を翻訳して、物事を前に進める。
産官学民、経営者と現場、行政と企業、大学・NPOと支援者など、それぞれの分野でかみ合わなかった事象を解きほぐし、盤石な土台を作ったのちに、事業を「完遂」へ導く。それが私の仕事です。

私はただの外部アドバイザーではありません。あなたの事業やPJTという建物の「基礎」を共につくり、嵐が来る前にやり遂げる、現場主義のパートナーでありたいと考えています。

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私が、実際に”橋渡し”してきたこと

抽象論ではなく、これまで携わってきた仕事でお話しします。

行政と企業をつなぐ(総務省・経済産業省の補助金事業)】
国の補助金事務局で、申請する企業側への説明会の実施や問い合わせ対応といったカスタマーサクセス、事業ホームページの設計・ディレクションを担当しました。制度を運用する行政の論理と、現場で申請に悩む企業の実情、その両者の立場を理解した上で利害調整をしながら、申請がスムーズに進む導線をつくる仕事です。

志と資金をつなぐ(大学法人・NPOのファンドレイジング)
国立大学法人の医学部やNPOと、企業・行政・支援者を結びつける資金調達支援を行っています。「誰が、なぜ支援するのか」を分析し、想いが伝わるメッセージと動線を設計する。内部の組織の論理と寄付者や外部支援者間のGAPを分析し、立場の異なる人々のあいだで、共感を資金へと翻訳する仕事です。

社会の要請と企業の現場をつなぐ(脱炭素・GX支援)
いま企業に求められる脱炭素対応は、正直に言えば、すぐに利益を生むものではありません。多くの担当者にとっては負担であり、コストセンターです。それでも社会の要請から逃げずに向き合う企業のために、私は法規制への対応や、ISO 14067などに準拠したCFP(カーボンフットプリント=製品が排出するCO2量の”見える化”)の算定支援を行っています。

申請・手法・方法論そのものには、正しい手順や答えがあります。そこは私がプロとして責任を持って、確かな形にします。一方で、それを自社の事業や現場にどう実装するか、定着させるかには、決まった正解がありません。この部分は、担当者の方と一緒に悩みながら、設計し組み立てていく。抽象を具体(自組織)へ昇華し、制度の要請を、あるべき理想を、現場が実行できる形にすることを大切にしています。

これらの実績や、どんな依頼を受けている(あるいは受けていない)かは、新着情報でも公開しています。

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私に依頼すると、手に入る3つのこと

  1. 停滞していた物事が動き出す。 経営と現場、行政と企業のように、立場が違って噛み合わない状況のあいだに立ち、言葉を翻訳して前に進めます。
  2. 一過性で終わらず定着し後から崩れない。 派手な施策より先に、見えない土台を整える。準備に時間をかける。だから長く効きます。
  3. 期限や期日を通りに終わる。 納期・繁忙期・資金繰り、そういった”嵐”の前にやるべきことを洗い出し、完遂までの道筋を引きます。

なぜ、私は「完遂」にこだわるのか

私のこの姿勢は、ビジネス書から学んだものではありません。
東北の寒村で、自然とともに生き、汗を流し、家族を守り抜いてきた一族から受け継いだものです。

その物語を、少しだけお話しさせてください。

もっと読む(私の原点)
完遂の旗を掲げて ―不沈の精神と、大地に根ざした想い―

私は、東北の田園風景の中で産声をあげました。江戸時代から続く旧家の、農家の次男です。私の根幹にあるのは、代々受け継がれてきた家族の教訓なのです。

1. 諦めない——祖父と祖母から受け継いだ精神

私は父母、祖父母、姉と兄、そして曾祖父母と暮らしていました。40年以上前、当時としては珍しく共働きの家庭で、日中の私の世界を形づくっていたのは祖父と祖母でした。

祖父は、15歳で帝国海軍の志願兵となり、戦火の海へ出た男です。乗っていた潜水艦は攻撃を受けて沈み、生還できたのはごく僅かだったと聞いています。祖父はその一人でした。幼い私に、祖父は背中と臀部に残る銃弾の跡を見せ、「これは勲章だ」と静かに笑いました。戦後は国語教師として教壇に立った祖父の言葉には、「生き延びた者の責任」と、何事も途中で投げ出さない誠実さが宿っていました。その銃創を思い出すたび、私は「どんな絶望の淵でも、最後の一歩まで諦めてはいけない」という精神を思い出します。

その傍らで、紫のパーマヘアを揺らし、畑の真ん中で豪快にタバコを吹かしていたのが祖母です。幼くして兄弟を病で亡くし、小学校を出てすぐ家業を継いで当主となりました。勉強する時間もなく、鍬を振るって家族を守り抜いた人です。字を書くのは苦手でしたが、彼女が土に刻んだ「生きる力」と「周囲への深い愛」は、どんな教科書より雄弁でした。理屈を超えた愛と行動力——それが祖母の体現していたものでした。

2. 見えない基礎こそ、一番大事——父と母から学んだプロの姿

日曜の朝だけは特別でした。建設業で週6日現場に立つ父が、家にいる唯一の時間だったからです。キャッチボールや釣りに連れて行ってくれる、楽しみな日でした。

父は左官屋でした。完成後は人目に触れない「基礎」を、黙々と、寸分の狂いもなく塗り固める職人です。東日本大震災の後、多くの倒壊した建物を見ながら父はつぶやきました。「見えないところが一番大事だ。そこが脆ければ、どんな立派な建物も崩れる」。この言葉が忘れられません。父の力強く繊細な手さばきから、私は「プロとしての誠実さ」と「細部へのこだわり」を学びました。

私がお客様の事業でまず整えるのも、この”見えない基礎”です。派手な施策より先に、崩れない土台をつくります。

母はJA(農協)に勤め、地域や農家の暮らしを支えながら、多忙な日々の中で私たち兄弟を愛情深く育ててくれました。外では責任ある仕事を全うし、家では家族のために温かい食事を用意する。その姿は、私にとって「責任」と「感謝」の象徴でした。役割を理解し、家庭でも組織でもプロとして振る舞う——お客様と接するとき、私がいつも思い出すお手本です。

3. 数百年続く家訓に、現代の戦略を乗せて

江戸時代から続く我が家には、時代を超えた「家訓」がありました。

一、周りを生かし、自らも生かされること(協力)。農業もビジネスも、独りでは成し得ません。他者を活かし、共に汗をかいて初めて大きな実りが得られます。
二、一粒の恵みに、感謝を忘れないこと(謙虚)。一粒の米、一つの契約。その背後にいる多くの人に頭を下げる。食べ物も機会も、決して無駄にしない。
三、嵐が来る前に、やるべき仕事を完璧に終えること(準備)。自然の猛威は待ってくれません。嵐の前に、すべてを「完遂」させる。実際の支援でも、私はまず納期・繁忙期・資金繰りという”嵐”の前にやるべきことを洗い出し、完遂までの段取りを引きます。

この家訓を胸に、私は大学から上京しました。最初は証券業界。富裕層向けの資産運用から金融派生商品まで、約15年間、数字と人間の欲に向き合い続けました。その後は人材会社でチームを束ね、採用・育成の最前線を経験。Webメディア運営やコールセンターの現場、国の補助金事業では行政と企業の橋渡しを、近年は脱炭素・GXの領域で社会の要請と企業現場の橋渡しを経験し、営業・マーケティング・広報・ブランディング・IT・DXと、異なる役割を渡り歩きました。

そのたびに見えてきたのは、「専門家同士がうまく話せていない」という現場の現実です。経営者と現場、産と官、民間と支援機関——そのあいだに立ち、言葉を翻訳しながら物事を動かすこと。それこそが自分の最も大きな仕事だと気づいた瞬間、独立を決意しました。

4. もう一つ、大切にしていること

技術的な作業には、正しい答えがあります。そこは私がプロとして、確かな形にします。けれど、事業の方向や組織のあり方といった「正解のない問い」は違います。私は、答えを教える先生ではありたくありません。経営者や担当者の方が、本当はどうしたいのか——その答えは、いつもご本人の中にあると考えているからです。

だから私は、問いを立て、選択肢を整理し、迷いを言葉にする手伝いをします。そうして、あなた自身が納得して決断できるところまで、隣で伴走する。外から答えを押し付けるのではなく、あなたの中にある答えを、共に形にしていく。それが私の考える「支援」です。

5. あなたのビジネスを支えるパートナーとして

「Ocean Strategy」——Oceanは「海」。すべてを生み出し、世界へ繋がる場所であり、海に生きた祖父への想いでもあります。Strategyは「戦略」。何かを成すには、大局的な方向性と準備が欠かせないからです。

潜水艦から生還した祖父の不屈。大地を耕し続けた祖母の行動力。見えない基礎を塗り固める父の誇り。すべてを包み込む母の献身。これらは、私が提供するすべての仕事に息づいています。

「赤間に頼んで良かった。彼なら、最後までやり遂げてくれる」——その信頼をいただくために、私は今日も現場へ向かいます。